足りない社会

子供の頃、学校で高齢化社会について、教えてもらっていた。あの時の教えてもらったこと、あれが、今。高齢化社会として進んでいる日本なのだ。今が、あのとき。

自分もそうです。誰だって歳をっていく。近い将来に、間違いなく街中にトイレの数、足りなくなる。既に、少なすぎと気づいてた。歳をとるといろんなこと我慢できなくなるのです。

トイレ、大量に足りないこと、気づかなかった。今だに、他人ごと。感性乏しくても、せめてそれぐらいは、先取って計画的に進めなきゃ!!。わたしたち、いつも遅い。何も見ないで生きてきたか、何かに精一杯だったためか、仕方がない。でも、未来に向かって、何かしないと。

ソレで、座る場所、圧倒的に足りないのです。気付くと、バス停にあるはずのベンチがない。いつから?。この前、信号待ちの杖をついた人。花壇の出っ張りに腰をかけてた。何か昔よりベンチ減ったの?。減らしたの?。感じないということは、んーっ、つまり、恐ろしいことです。未来のこの国の人への裏切になるのでは。それを考えると、寂しいし不安だ。年寄りも、障害者も皆んないる光景が私の理想です。それをイメージすることが、心の安らぎを保ちます。

そう言えば、街中で、障害者の人、少なくなったか、あまり見かけない。

関心がないから見えなかったのか?。弱者を追いやっていないだろうか。心配だ。

子供の頃の日本に、まさか、今は負けてたか。最終的に世の中は、良い方向にのみ向かうと勝手に信じたけど。🔸見て、気づいて、感じて、良くする。🔸

心配って、街中の景色、見てないこと。ソレ大切なこと。そんな気持ちです。